南米ペルーで見た闇!外貨両替トラブルと消えた5ソルの教訓
旅行情報
あなたの旅行先の国名・都市名
ペルー、アレキパ県
あなたが旅行に行った年月
1990年代後半(初渡航時)
あなたが旅行に行った回数
20回以上(うちペルーへは14回渡航)
あなたの年齢、性別、職業
54歳、男性、鍼灸師・フリーライター
一緒に旅行に行った人の人数
単独(1人)
トラブル体験をした場所
ペルー・アレキパ県セントロ(中心街)にある路面の両替所
トラブル内容
1990年代後半、私が初めて南米ペルーの地に足を踏み入れた時代、現地の治安はまさに崩壊状態にありました。官憲は金で買収でき、札束を積めば警察手帳すら買えると言われたほどカオスな時代です。
私はこれまで、米国への野暮用や買い物を含めて20回以上の海外渡航歴があり、ペルーだけでも14回訪れている筋金入りの南米好きですが、当時のアレキパ県セントロ(中心街)での出来事は今でも忘れられません。
当時のレートは米ドルからペルーの通貨(当時の単位はヌエボソル、現在はソル)への換算で「1ドル=3.45ソル」程度。セントロには無数の両替所(CAMBIO)が軒を連ねていましたが、どこも似たり寄ったりの怪しげな雰囲気を醸し出していました。
ある日、米ドルを握りしめて外貨両替を頼んだ際、事件は起きました。提示されたレート通りに単純計算して渡されるべき金額を算出していたのですが、手渡された紙幣を数えてみると、5ソル(あるいは10ソル)が平然と少なく渡されたのです。
「おいおい、計算が合わないぞ」と疑いの眼差しで目を合わせようとすると、両替所の窓口にいるスタッフ(バイトなのか何なのかも分からない男)は、フッと露骨に目を逸らしました。完全に「あ~、やったな!」という瞬間です。このピンハネされた小銭は、間違いなく彼のポケットマネーへと消えたのでしょう。
しかし、如何せんこちらは完全なアウェイの外国人。下手に騒ぎ立てて刃物でも突きつけられたら命がありません。結局、言いなりで換金を受け入れるしかありませんでした。情けない話ですが、横浜からやってきたこの東洋人のピエロは、悔しさを飲み込んで苦笑いするしかなかったのです。
ですが、南米の人間臭さというか、カオスな魅力はここからです。昼間に私からピンハネしたであろうその両替所の男と、なんと後日街で再会し、意気投合して地元の治安の悪いディスコや酒場へビールを飲みに行く仲になってしまったのです。「あの時の5ソル返せよ!」なんて野暮なことは言えず、結局ご馳走したりされたり。
日本とは違い、置き引きや持ち逃げ、カッパライが日常茶飯事の国です。すれ違いざまに愛用のG-SHOCKを引き千切られて奪われたこともありました。しかし、私はそれらを「これからペルーという国に永久にお世話になるための授業料、あるいは現地へのチップ(プロピーナ)」と割り切ることにしました。悲壮感を漂わせるより、道化師のように笑い飛ばす方がこの国では生きやすかったのです。
近年のペルーは、防犯カメラの設置や警察の増員、スマホの普及(悪事を働けばすぐSNSに晒されるため)により、治安もかなり改善され、両替所のボッタクリも激減しました。今では目の前で札をしっかり数えて見せてくれる良心的な両替所が増えています。
しかし、信頼性の高い両替所など空港であっても100%安全とは言い切れません。新大久保のコリアンタウンで10,000円出して300円の弁当を買い、お釣りの1,000円札が1枚足りないことがあるように、隙を見せればカモにされるのが世界のリアルです。私は数々のトラブルを経験しながらも、日本人としての矜持を胸に、大人の対応(という名の泣き寝入りと苦笑い)で乗り越えてきました。
トラブルに巻き込まれないためにするべきだった行動
両替時には任せっきりにせず、必ず自分のスマホの電卓アプリで「両替したい金額×現在のレート=換金後の総額」を計算し、その画面を両替所(CAMBIO)のスタッフにはっきりと見せて確認させることが重要です。また、相手が目の前でお金を数え終わるまで決して目を離さず、渡されたその場で自分でも枚数を再確認する徹底した防犯意識を持つべきでした。
トラブルに巻き込まれないためにするべきだった行動
レートも、お金も、受け取った直後にその場で、自分で計算し、確認すべきだった。




































