私は2002年に日本大学経済学部を卒業しています。

世間での日本大学のイメージは国内最大のマンモス校で一番卒業生が多く、日東駒専という可もなく不可もなく一般的な学歴という印象ではないでしょうか、少なくとも私自身はそう思っていますが栃木県の佐野日本大学付属高校に通っている当時、日大に上がるにはエスカレーター制ではなく全付属校の一斉統一テストで振るいに掛けられ大学に合格するのは半分か3分の1程度の確率でした。私自身は模試ではずっと及第点に達したことがありませんでしたので本番の受験前ではせいぜい入れて文系学部の夜間学部とか系列の短大といったところでした。

しかし、付属校なのに日大に行けないのはさすがに情けないと思い、受験シーズンでは諦めることなく勉強し、受験前夜の夜遅くまで追い込みをかけました。
受験当日は昨夜勉強した箇所が問題に出るなどの幸運なことが起きましたが、さすがに昼間の学部の及第点に達するとは思っていませんでしたので、試験が終わった後は野となれ山となれという気持ちで結果が出たら考えればいいという思いで過ごしていました。

試験の結果は担任の先生から伝えられるのですが、家に電話がかかってきて及第点の220点で考えてくれと言われ、用件だけで終話したようです。電話を受けた親から話を聞いた私は内容がよくわからず、220点は日大に行きたいクラス全員の目標だったので祝意もなく淡々としたテンションでその点数を考えてくれだけとはどういうことなのだろうかと疑問に思っていました。自分は日大に行けるのか?期待先行して違っていたら失望感が大きいのであまり期待せずに様子を伺っていましたが日に日に大学進学できることが判明しいき、結果日大に合格していました。

先生にはストレートに「おめでとう!合格だ!」と言ってもらえればわかりやすかったのですがじわじわと喜びがこみ上げ、人生最大の達成感として今までにない高揚感があったのを覚えています。私は高望みをして高校受験に失敗し、志望高校には優秀な友達が進学していましたが、結果その友達と同じ大学に進学することになりました。学力はないけれど学歴は気にしていた学生でしたので最後まで悪あがきをして目標に突き進んだ成功体験は今でも教訓になっており、50人いるクラスの数人の合格者の中に滑り込むことができ、合格点のちょうど220点でしたのであと1点でも足りなかったら落ちていたので本番に強いという自己評価も得ました。

最低獲得点数の220点で入れる東京の学部は経済学部しかありませんでしたが、経済という言葉の意味も分からずにとりあえず進学しました。最も人数の多い大学の中堅の学部ですので本当に中の中といった感じでしょうか。水道橋のキャンパスと言っても普通のビルですが授業初日に初めて行きました。

肝心の大学生活の実態は緩すぎました。講義は出席してるだけで単位が取れる教授がほとんどでしたし、教科書持ち込みOKで簡単な試験に合格すれば出席さえしなくても良い教授もいたので焦燥感や向上心がなくとも単位取得できました。したがって遊びたい盛りの18~20歳でしたが、私は今まで本格的にできなかった労働をしてお金を稼ぐアルバイトにのめり込みました。お金を稼ぐことは容易いことではなく疲労や時間提供を伴いますが、万物との交換可能な貨幣を獲得できる安心感と喜びは新鮮でした。

お金がない田舎の高校生からお金を生み出せる都会の大学生へ進化したことは人生では革命といえる立場の変化だったと思います。東京にロクに行ったことがなく、仲良くなった都民の学生友達には東京コンプレックスを感じましたが彼らの話やファッションは軽い憧れを持っていました。私だけでなく地方から出てきた友人なんかも垢ぬけない田舎者からおしゃれなシティボーイへ段階的に変化していったというのは同窓会では鉄板のネタになっています。

経験したアルバイトは主にピザの配達、パチンコ店、ガソリンスタンドなどです。大学で勉強する時間よりも圧倒的にアルバイトに費やした時間の方が長くほとんどフルタイムに近い感覚でした。しかし4年間で経験したのが主に上記のうちの2つでしたので長く続いた方ではないかと思います。その中で夏休みの間に行った短期バイトがあります。某メーカの家電製品を組み立てる工場での作業でした。月~金曜日の9時に出社して17時まで行う単純労働でした。基盤の決められた箇所にネジを入れ込むとか、鉄板をセットしてプレス機で成形するというのをひたすら行う作業でとてもつまらないし、終業後は心身ともに疲労困憊になります。

周囲には同じ作業をする作業員はいますが、作業中は話しかけることもできませんし世代が上の人でしたので話したいとも思わなかったのですが、自分はアルバイトだけれどもこれを本業の仕事としているのは厳しいなと正直に思いました。苦痛が過ぎ去るのを時計とにらめっこする仕事はしたくないとこの時にはっきりと自覚し、お金を稼ぐことの大変さをまさに痛感しました。頭脳を駆使するスリルのある仕事をしてあわよくば大金も得たい、漠然と将来のビジョンが芽生えたきっかけになったと思いますので貴重な体験でした。

そしてこの体験がもとになり学生という身分でお金という魔物を哲学的に考えていくようになりました。