実際の場所

2006年半ば、格安外貨両替商として起業し数か月を経たものの、インターネットやアナログの集客を試すも全く結果が出ず、みるみるうちに資金は減り、とても利益が出せるような状態にはなく、なんとかせねばならぬ苦肉の策で予てから思いついてはいたものの実現不可能と思われていた案を本気で検討することにした。

それは成田空港に車で来る海外旅行者向けに、界隈の駐車場の付近で両替ショップを営業することであった。車通りの多い空き地にプレハブや小屋のようなお店を建てて、まさに空港へ行く直前の機会に外貨両替をしてもらうというものだった。しかしながら、多くのハードルが待ち受けていることは覚悟していた。ネットの地図や航空写真で場所の見当をつけて実際にカメラを持って現地に赴いた。ここにくるまでは時間も金も相当にかかる。無駄にしないように昼過ぎから日が暮れて夜中になるまでくまなく歩いて回った。

車以外の交通手段が無いようなところなので、次の目的地までいくのにひたすら長い道路を徒歩で移動した。実際にここに両替ショップができたらと頭に思い描いてあらゆる情報を記録した。そして本当に目ぼしい場所は一箇所しかなかったのである。あらゆる駐車場へ行くのに必ず通る道路脇にぽつんとある空き地で、この辺りでは最大の駐車場の入り口付近に位置しており、しかも日航ホテルのちょうど目の前という最高のロケーションだったのだ。

ここにお店があったらかなりの視認性を集められる。思いは膨らみ、後は地主を探して権利関係を調べる段階に入ろうとした。幸いそこには近くにあるコンビニの看板が立っていたのでその足ですぐそのコンビニへ向かった。きっとそのコンビニのオーナーが地主に違い無いと思っていたが、たとえ違っていても最悪登記所へ行って権利を確認すればいいと思っていた。コンビニの店員に尋ねると、あっさりとオーナーさんが出てきて教えてくれた。地主は自分ではなく、●●の駐車場を経営しているAさんという方だという情報を得たので、それを元に交渉ができるとその日は終電が迫っていたので一旦帰宅した。疲労困憊で足は棒のようになっていた。

翌日に早速、教えられた駐車場をネットで電話番号を調べて敷地を借りることの打診をした。その社長が実質の地主であったのだが、どうも以前に私から電話をもらったことがあるということを言っている。瞬時に記憶を辿ってみると起業前に集客の一つとして成田空港近辺の駐車場へ片っ端から電話をかけて協業を持ちかけていた会社のうちの一つであった。しかもその中で唯一、外貨両替の事業に興味を持っていただき色々と話ができたAさん本人だったのである。すぐに自分のノートを開き返してみるとその名前が書かれてあり、これはなんと幸運な偶然だろうかとガッツポーズをしたい心境であった。以前は起業前の段階で具体的な協業を提案することができず、また彼の駐車場は行かずとも規模が小さく大きな効果が見込めないだろうと分かっていたのでその後、追って話を進めることはなかった。しかし電話の話だけでも相手のテンションが上がっていくのが分かった。具体的な質問なども出てきて、会いに来てもよいとアポイントをいただけることになった。この時点でかなり前向きな手ごたえを掴んだといってよい。私はこの最後の望みが繋がったと思いようやく顔を上げてその日からの生活を送れることになった。

数日も経たないうちにまた成田空港駅へ行き、そこからバスで例の敷地前でAさんを待った。軽自動車で現れたAさんは挨拶もそこそこに敷地のことについて色々と話始めた。今ある看板をどかさなければいけないとか、U字溝を設けなければとか、プレハブを建てるなら地面を平らにしなければならないなど。私は土木の知識が全くなく、若干荒れている場所ではあったがプレハブ一つ置く程度の場所があれば十分だと思っていた。だいたいの工事費を尋ねると、その費用を素人考えで見積もっても数百万はいってしまうと危惧された。ただ、どうしてもそこを賃貸できる許可が欲しかった。この場所で商売をすれば必ずや大きな利益を安定して紡ぎだすことができると確信していたので、腹を決めればそれだけの資金は捻出できると楽観していた。楽観というよりもうすでにこの出店事業に賭けるしか後がなかったので死に物狂いで実現させねばならない覚悟だったのだ。そのためいつにも増して決定権者である重要人物のAさんの気持ちに配慮し、言葉を選び、時には持ち上げて媚を売るような接し方をいとわなかった。

しかしながら頭の中では、破談はなんとしてでも避けなければならないという思いと、実現への道の険しさとのギャップが交錯して複雑で苦しい立場であることには変わりないと自覚していた。その破談の怖さがあってか私は最後まで賃料のことについてはこちらから話を始めることができなかったのだった。つまり相手の顔色を伺い、人間関係がある程度できれば良心的な付き合いに発展し実現可能な賃料で落ち着いてくれることをAさんの人間性に託していたのだ。こちらは反面怯えるような心境で様子を覗っていたのだがAさんからも金額的な話をされることはなくお互い一番大事なことを議論することがないまま、とりあえず彼の事務所へお邪魔し改めて話をすることにした。もう私の終電が迫っており彼のスケジュールも他の事業などの関係ですぐに今の話を始められる状況にはないとのことで少し時間を置いてから具体的に検討して進めるといわれた。私はこの言葉が確約と思いこみ相手のスケジュールを優先させてもいずれは出店をしてくれるという意向であると捉えてひとまず重要な意思確認を果たせたことに満足し、何度も感謝の言葉を述べてその日は帰宅することにした。帰りの電車の中では、もしかしたら賃料など不要だと考えているのではないだろうかという期待すらしていた。

その日から、脇目も振らずに出店という新たなビジネスモデルについて調べに調べた。とりあえずプレハブや簡易営業所などの建物の見積もりを取り、近くにATMはあるかとか、郵便局はあるかなど、集客の導線以外にも考えることは多くあった。特に自分の生活スタイルが成田の片田舎に出て店舗に常駐することは大きく変わる環境に順応する必要があった。いくつもの困難や精神的肉体的ストレスも生じることであろうが、自ら起業した会社を存続発展させていくには贅沢は言ってられない。そのためなら自分で背負い込める苦労などは全て後回しにできる何ともないことだと思っていた。

その間に流れる日々の中でも既存の営業スタイルであるネットからの集客はまさに閑古鳥が鳴くがごとく惨たんたるものだった。本来の営業が全く回っていかない中、成田出店への期待が過大になっていき、その手続きや仕事に傾注していくことで本業のネット営業は半ば諦めの様相を呈し現実を直視せずに目を背けている自分は自らの危機感を押し殺しているかのようだった。もしこの案件が実現しなかったら・・・そんなことは考えたくも無かった。必ず成功させなければならない、さもなくば自分の人生はどうなってしまうか分からない。全財産も起業した当初より半減しているし、目測が大きく外れてしまった代償でこの手で得たものはもはやもう何も無い。

背水の陣ではあったが、生殺与奪その命運は出店を許可するか否か全て地主のAさんの手中にある。そのことだけが気がかりだった。しかしそんなことを詮索していても仕方が無いのでとにかく遮二無二やれることを具体化し、既成事実化してAさんに現実味を持ってもらい承諾を得やすくなるだろうと信じて来る日も来る日も吉報を待った。こちらから執拗に連絡をしてしつこく思われるのもやぶ蛇なので忘れ去られない程度の期間を1カ月程度と定めていたが、残念ながらAさんのほうから連絡が来ることは無かった。