晴天の霹靂の水難事故に弟を奪われるという暗黒の運命を乗り越えた。これは図らずとも今後の人生において自らの命もまた有限であり、思い描いた希望通りに歩むべきであるという考えを身をもって後押しする得がたい経験となった。もちろん日常生活はその後続き、自社の売り上げ、いわゆる日銭を稼ぐ自分の仕事としての毎日は何事も無く繰り返されていったのだが、以前のように今日の売り上げが多い少ないと一喜一憂することや、日々起こる細々とした事象や問題など気にならなくなった。大きく構えるというか、命の大切さや生きていることの幸福さに比べたら目先の売り上げ不振や機会損失など塵ほどの価値にしか思えなくなる。この事件から数日はボーっと放心状態で力が抜けた安心感と一切の義務感を放棄して流れる時間にただ身をゆだねていた。

運命とは不断の努力と不屈の精神で切り開くものだときっと誰もが共通して抱いている倫理的価値観と思っているだろう、それ以上に失敗や幾多の困難に屈して世捨て人に成り下がった者はそれを綺麗事と吐いて捨てるかもしれない。私の場合は少し異質なケースかもしれない、それはこの頃から明らかに運命の風向きが変わり、たちまち予期せぬ未来を時代が切り開いていくことになる。

自分の立ち上げた会社で手取り2~30万円を稼げるようになっていた私は、正直個人事業主のレベルでも同年代の平均的な人間とは大差ない収入であることにどこか満足していたような部分もあって、朝から晩まで拘束されこき使われる立場でないだけ気楽でましだと自分寄りの解釈をして納得していた。ネット上とはいえ日本一のレートを提示しているのに段々と拡大していかない事業にもどかしさを感じながらもこのまま不自由なく自分の城で安定的に生きられればとりあえずは恵まれているかなとも感じていた。しかし一方でこんな状態ではいつまで経っても憧れていた永遠の青春を手に入れることはおろか世間的に一人前である家族を持つレベルにも達することは出来ない。同じ年齢で同じ収入なら社会的背景がない自分はその分信用性に欠け劣等な立場であることは言うまでもなく、両者のジレンマを漠然と抱いていた。そしていつもと変わらず注文の処理と両替申し込みの予約に応えている時だった。一件の電話対応で1000万円分欲しいという巨額注文の問い合わせにあたった。

久しぶりのビックオーダー、興奮して絶対に逃さないよう丁寧に対応し相手の要望を丹念に聞いていた。すぐに仕入先に問い合わせ調達可能なことを確認して、再度そのお客様に預かり金の10万円を先に振り込んでいただくよう説明した。キャンセルされてはこちらは一発で資金がショートしてしまう。そんなことはもちろん伝えずに慎重に会話をし了承いただいて振込みを待った。1時間後、当社口座に預かり金の10万円が入金され、思わずガッツポーズをした。これで13万円ゲットだ。そのお客様は神奈川の遠方の都市在住だったが、事務所のある東京からは1時間ほどで行ける距離だったので、自宅までお持ちしますと申し出た。最重要顧客のため高額売り上げのためなら何てことない。私は次の日、紙袋に10万ドルの札束を詰め込んで電車に乗りバスに乗り、そのお客様の自宅まで届けに行った。高額の現金を持っているなど周りの人に気付かれることのないよう、いつも以上に息を殺してなるべく目立たず隅に潜むように移動した。

暑い夏の日、お宅に上がりテーブルの上に1000万円相当の日本円と10万ドルの米ドル札を両者で15分くらいかけて数えた。幸い女性の方と子供たちしかいなかったので身の危険を感じることはなかったが、お金を数える作業には慣れていたので、枚数が多いということだけで無事に用件を終えて足早に帰社した。1000万円の現金も仕入先にすぐに送金が必要なので駅前の銀行で全て入金して携帯から仕入れ元に銀行振り込みをした。これで一件落着、緊張した割にスムーズに取引を終えたらあっけないものだった。それでもこの作業だけでアルバイトしていたころの一ヶ月分の給料以上の売り上げをもたらした。勤め人の頃の庶民的金銭感覚が抜けていない私は経済システムの不合理さを同時に思い知った気がした。やっぱり資本主義は平等なんかじゃない。個人の頑張りももちろんだが、知識の有無だけでも儲け方や稼ぎ方は大きく乖離する。視点が違えば粉骨砕身の努力も水の泡になるし、かたや運よく掴んだあぶく銭だったとしても誉められるものでもない。お金とは一体なんだ。とりあえずその日、浮かれることなくいつものように入った牛丼店でいつも通りのメニューを食べたが、自分にはこれで十分だと思った。

私はいまでもそうだが、高額の注文が入り大きい利益を上げた日でさえ自分へのご褒美とかボーナス気分で贅沢な無駄遣いをすることはない。俗欲の持ち主なら1日で10万円以上も儲ければその臨時収入で気分が高揚し大盤振る舞いをしたくなるのは普通かと思う。世間にとってもどんな理由であれ一方の消費は、他の誰か一方の収入に繋がるわけで経済社会においてはうまくお金が回りだす原動力にもなる。それが株や不動産の値上がりがきっかけなら資産効果といって景気にとって良い刺激だが、私が行っていることはあくまで本業としての事業であり、未来永劫続ける業としてかりそめの単発花火に過ぎない。後に待ち受ける急激な業況悪化や不測の事態に備えての貯金、あるいは未だ見ぬ絶好の投資案件に備えての蓄えとして捉えるように半ば戒律のように言い聞かせている。どちらかといえば前者の不安からくる理由が大きいだろう。いつになってもあの苦しい時期を忘れることはないからだ。終わりのない悪夢の中にいるような生き地獄を現実に過ごしてきた起業前後の長い3年にも及ぶ受難の日々にいつか再び戻るのではないかと漠とした不安が心に根強く染み付いている。

現在に至りいとも簡単なプロセスで得た金だとしても短絡的な行動でその大切な資金を費やしてしまうのは経営者として失格でありそもそも公私混同である。目前の欲に目がくらむほどさもしい人間とは一線を画し経営者として成すのであれば、そのような思考回路を拝す覚悟も兼ね備えなければならない。仕事の必要経費や改善に要する費用は躊躇してはならないが、個人的には物心ついてから元来慣れ親しんだ倹約の精神に基づく生活水準を上げるようなことは今後も考えないだろう。つまらない人間であると自分でも百も承知しているが、絶対唯一の目的である日本一の両替商で成功するという志を達成できる可能性が微かでも残されている今、重い代償であるとは決して思わない。

しかしながら当時のあまりにも切り詰めた生活とは違い、満足してラーメン屋に入りサイドメニューの餃子を頼むくらいの余裕は出てきている。そんなささやかなことに幸せを感じる臨界点の低い幸福感覚があれば中途半端な贅沢はいらない。オールオアナッシング、成功したいと願ってそのために生きているがそこに到達したらどんな光景が見えるのかも想像がつかない、きっと想像を絶する何かが待ち受けているのだろうと思い虎視眈々と腹の底で温めてわくわくどきどきするのが私の快感であり生きるエネルギーである。

それからもその神奈川のお客様は立て続けに巨額注文をさらに増額して申し込んできた。その注文の金額は一回の取引で自動車一台が買えるほどの粗利益をもたらすものであった。とても興奮した、自分がビックビジネスを手がけている有能なやり手ビジネスマンであるかのように半ば自己陶酔する感覚になっていた。なにせ大金であるにせよわずか十分たらずで取引が済み、何十万円もの収益になるのだから最も甘美な商売の醍醐味を感じる瞬間であった。これで今月も赤字のリスクを心配することなく来月再来月、または再々来月くらいまでの経費分は確保することができた。収益があがり資金が増えることはすなわちその分だけ自分がビジネスを続けられる期間がそれだけ長くなるという安心感を得れるということ。しかしそれは逆説的にいえば全く売り上げがない状態を想定しても倒産に至る期間を遠ざけるという安心感と同じことでもある。だから最高に嬉しいことではあったが有頂天になることはなく、その他多くの一般の注文が正常であってこなせる許容範囲の限界まで受注を伸ばしたいと貪欲な心情もまたできるだけ永くビジネスを続けていきたいという飽くなき願いであった。そして当社インターバンクの運命を左右する為替相場の潮流がまたもや激流に変わっていくことになる。