日本大学経済学部3年生の頃、ようやく経済に興味を持った私に待ち受けていた大いなる人生の関門は泣く子も黙る就職活動でした。社会に出たことがないので自分の特性に合った業界というのはさっぱり見当がつかなかったのですが、金融経済を勉強していたのもあり、金融業界に行くということは絶対的に決めていました。しかし入りたいと、入れるは別物で金融業界というのはいわゆるエリート層のハイレベルな人材が求められているところであり、興味を持って勉強しているとはいえ私の学力、学歴、その他に評価されうる特別な能力もないスペックでは華やかなる銀行・証券業界は無理だろうと鼻から諦めていました。

 では、同じ金融でも消費者金融はどうだろうか、ナニワ金融道やミナミの帝王で慣れ親しんで金融に興味を持つきっかけを与えてくれた“サラ金業界”、人にお金を貸すという行為は銀行であれ消費者金融であれさほど変わらないし、あの漫画の世界を地で経験できるなら何て面白いだろうか、個人融資を通じてもリアルな実体経済に触れることは出来る、世間体はちょっと良くないからエリート層は敬遠してやる気のある日大生くらいなら採用してもらえるのではないだろうかと高を括った考えでした。
 
 変わり者と思われてもリアルを追求したい生き方をモットーにしつつあった学生の私は待遇など考えず自分自身が活躍できる場だと信じ、至って純粋な気持ちで事業内容だけで消費者金融業界を選択しました。心からサラ金で働きたい就活生であったのです。

 こうして私の就職活動は本格的に消費者金融業界を目指すことに決まりました。大学3年生の夏ごろに周りより少し遅れて開始したと思いますが、友人で消費者金融を目指す者はおろかエントリーする者など誰も見聞きしませんでした。
2001年の消費者金融業界はTVを付ければ四六時中コマーシャルが流れており、チワワのクーちゃんや流行のアイドルなどが話題になって街中のいたるところにドでかい看板が乱立し宣伝広告に多額の予算がつぎ込まれていました。それもそのはずで当時の消費者金融業界は飛ぶ鳥を落とす破竹の勢いで巨額の経常利益を上げるドル箱業界と言っても過言ではなかったのです。

 業界最大手の武富士の年間の経常利益はなんと2,300億円です。(2001年度)当時の法人経常利益ランキングで9位に入り込む超優良企業で、以下13位アコム1,700億円、26位プロミス1,100億円と日本を代表するエリート企業群だったのです。
この事実を知った時、「ちょっと待てよ、これは都市銀行のメガバンクより全然凄いじゃないか」とその皮肉さと世間とのイメージとの乖離に気づいていました。いわゆるエリート銀行マンよりも実質的にはエリートサラ金マンとそう呼ばれることは名実ともに近い将来なっていくことは間違いないと予想し自分の進路の大義を確信していました。

 武富士創業者の武井保雄氏は一代で帝国ともいわれる大企業を築き上げ、立志伝中の偉人のように言われることもありました。ワンマンでパワフルな豪腕でバリバリ金儲けをする姿は現代のミナミの帝王のように感じられ、私はそういった起業家のエピソードが大好きでしたので羨望の想いも相まってサラ金、消費者金融業界を志望したのです。