翌日、朝起きてもポジションを取ったレートとはさほど変わりない為替水準で推移していた。僅かなドル円の動きでも含み資産の変動額が大きいことに緊張しながらいの一番で仕入れの依頼を試みたが、未だにドル在庫が出てくる予兆はなくこの日も仕入れがままならない状態だった。無理もない、狂乱的な円高水準で誰も彼も安いドルを購入しようと、巷では銀行に大行列ができるほどだった。取り付け騒ぎ以外で人々が大挙して銀行に押し寄せることなど誰が想像しただろうか、このころの円相場は本当に世紀に一度の異常事態であった。

そんな会社の内情は露知らず電話やネットからは次々とまたドル購入の依頼が入ってきた。私には昨日神奈川のお客様よりいただいた40万ドルの仕入れの可否と為替ヘッジした市場レートの行方が気になっており、他の注文の案件をさばくことまでに気が回らなかった、いや本当は全ての注文を一件の取りこぼしもなく履行したかったのだが仕入れが出来ない以上、用意できる在庫の確証が出来ない取引を引き受けることは、これ以上は危険が生じるのではないかと感じ出していた。しかも為替相場も昼過ぎ頃からじりじりと更なる円高に進行していったのだった。私はFX口座に為替ヘッジで40万ドルもの米ドル買いポジションを持っている、純資産の変動が心配で気が気ではなかった。なんせたった10銭下がるだけで4万円もの含み損が出る高額取引であったので、昨今のこの円高相場の中でまさに生き馬の目を抜く所業で稼いだ虎の子が見る見るうちに減っていくのである。

ついには1円近くも円高になり含み損も40万円を超えるほどの損失が画面に表示された。ここまで損失が膨らみ、もうどうすることもできずに正直身動きがとれなかった。まさかここで損切りをする訳にもいかない、そんなことをしたら何のためにヘッジをしたのか分からない。1円くらいならなんとか自立反発する可能性はある、脂汗がじわじわ発汗しながらもう天に祈るしかなかった。身を引き裂かれる思いで憂鬱この上ない心情と脱力感とでもう相場を見たくないとさえ思い出していた。しかし、この時でさえまだ傷は浅いということを後に思い知ることになる。

その数時間後、ドル円はなんと魔物にとり憑かれたような、尋常ではない激昂した円高に進行していった。なんとその日の始値の高値付近の水準から一気に9円も円高が進んだのだ、それもたった数時間のうちに。その過程で気になりながらも随時為替レートをチェックしていたが、為替ヘッジをした40万ドルのポジションはなんと1円どころか2円近く下げ、強制決済ぎりぎりの時点まで迫っていた。もう頭が真っ白になり呆然としていた。どうせ消えてしまうのなら口座の金額全て無くなってしまえと完全に投げやりになり、机にへたり込んでうな垂れるしかなかった。自分で損切りを設定していなかったのでいくらの為替レートの時点で強制決済されるか分からなかったが、最後に恐る恐るもう一度画面をチェックしたら、ポジションが消えてなくなり損失額を示す赤字と激減した口座残高が映し出されていた。その損失なんと74万円。昨日の今日たった1日で、である。24時間もたたないうちに74万円も失ったのである。目はうつろになり背中に巨石を背負ったように怠く、自己嫌悪で全くもって空いた口がふさがらなかった。

なんという大変なことをしてしまったのか。今月、馬車馬のように駆けずり回って稼ぎまくった売り上げの大半をたった1日で、リスクヘッジという大義名分があったとはいえささいな欲を出したがために失ってしまった。最悪の結末にもう目も当てられずぐうの音も出なかった。自らが招いた惨状なのに情けなくてどこかへ消えていなくなりたいと思った。しかしながら、この時でさえまだ致命傷ではないことに気付いていなかった。再びさらなる悲劇が襲うことになる。

そもそもこの為替ヘッジは神奈川のお客様の40万ドルの注文を逃さないための取引であった。金額が大きすぎるが故に預かり金の50万円をすでに当社側にあったにも関わらず、私はその日9円も下がったドル円相場の動きに怖くなり、何を血迷ったかそのお客様に電話で今回の注文は受けれませんと告げてしまったのだ。冷静になって考えればお客さまと確定したレートよりもかなりの円高水準になっているので、その安い水準のドルを少しずつでも時間をかけて仕入れをしていけば少なくとも取引が不可能になるということは避けられ、確定したレートの差額で売り上げは立つというシナリオもあるはずであった。しかし、その瞬間は正常な判断がつかず、完全に頭の中がパニックになっていたとしかいいようがない。この日、いずれの時点でもこちらから取引をキャンセルするメリットは一切なく、私には百害あって一理なしであった。今思い返しても説明できないほど奇行に近い狂気の沙汰だった。おそらく自分がプロだと思いこんでいたのは単ににわか知識があるだけのたちの悪い勘違い人間だっただけということを思い知らせるために天が与えた罰であったのだろう。

これほどの大失敗は金銭的にも社会人たる大人としても人生で一番の失態であり、長きに渡り大変悔やまれる過ちとなった。しかもその後すぐにキャンセルをしたことを我に返ってよく考え直してみると、明らかに不必要であった行動であることに今更ながらに気付きまた再度、お客様に電話して先ほどのキャンセルはこちらの手違いでそのまま注文を履行させてくださいと申し出たのだが、時すでに遅しで約束した買い注文のレートよりも大幅な円高になっていたことを知っていたお客様は先ほど私が言った言動と今の話の内容が明らかに変わりすぎていることに不信感を持ち、確定したレートでの注文はキャンセルだと言ったじゃないかと怒鳴られた。

本当に最悪だった、絶対に不信感をもたれてはいけない最高級クラスのお客様の逆鱗に触れてしまった。無理とは分かっていてもたった一時間でいいから時間を戻したいと願った。しかしもうこれは相手の主張を受け入れざるを得なかった。もちろん、私の行動に問題がありお客様にとっても高額取引で利害が大きく関わってくる案件だ。実際には今までにも巨額取引をしていただいてかなり売り上げにも貢献してくれている。これは身を引くしかないとその時には決断したが、結果数々の思惑違いと裁量ミス、フォローの不手際により最低最悪の台無しなものとなってしまった。さらに運命はいたずらなもので、この一件で打ちのめされている身にも関わらず尋常でない為替相場の乱高下を世間の人も知っていたのであろう、一般の注文は絶え間なく入ってきておりとどまる様子など微塵もなかった。

ほとんど腐りかけていた私は、それでも最良の決断をしなくてはならない経営者の性に悩みながらも創業来初めての在庫切れの告知を自社ホームページ上に掲載した。どんなに仕入れが難しいときでも受注を断るということは絶対に避けてきた。あらゆるアイディアを駆使し、また忍耐と運を手繰り寄せながらもなんとかして今までは取引を履行してきたのだが、今回ばかりは仕入れがゼロに対して受注件数と金額といったら途方もない膨大な規模のものになっていた、しかもこのままでは歯止めが掛からずに増え続けていく。商売を成立させる自信も術もなかった。平時での受注は喉から手が出る値千金に勝るほど欲しいものでありお客様は神様であるが、断腸の思いでこの日はやむなく取引停止を決断した。こういうときに限って知り合いや地元ご近所の方からも声がかかるのだが、恣意的な計らいも出来ずに例外なく断らざるを得ない状況に追い込まれていた。

身近な付き合いの仲でも外貨両替需要が出てくるほど全国民レベルで米ドルを買う現象が起こっていた。にも関わらずそんな大事なタイミングで大失態を犯してしまい、そのことを考えると気分が悪くなりそうなので早々に布団に入りその日は寝込んだ。ただ、この日の最後には在庫がほぼ空であると思えわれた取引先の計らいで40万ドル分だけ仕入れすることが出来た。交渉を重ねた末に正規発注レートよりもかなり上乗せをされたものであったが、神奈川のお客様の注文だけは何とか履行する手はずが整った。もし規定の当該40万ドルの注文の売り上げすら無くなってしまったら再起不能になって骨も残らないと思われたのでそれだけは幸いした。しかしながら、利益額も少ないものであり結局FXの為替ヘッジで損した金額だけ丸々闇に消え去ったことに変わりはなかった。

人生うまくいくことばかりではない。あの日の出来事を引きずり、あの損失が無かったらどれだけ資産が増えていただろうと何度も悔やんだりもしたが、幸いにもその後円高は続いて受注の勢いがやや緩やかになったものの、安定的にそして満足のいくペースで利益を上げることができた。皮肉にもリーマンショックが当社にもたらしたものは世間とは逆の繁栄の道であった。08年の年末から09年の年初にはあれよあれよという間に90円を割り、ついに80円台に突入してしまう。しかし90円割れの時とは違って激しい急落ではないソフトランディングの体で世界の金融市場からリスクマネーが円に向かう資本移動がじわじわと進んでいったのだった。為替変動の要因は一概に決定することはできず様々な外部要因があるが、その中でも根本的な資本の継続的な流れに円が選好されていたものだった。

この仕事を始めてから為替を予想するようなことはほとんどしなくなった。一番の原因はわざわざリスクにさらす様なことをして自分でディールをしなくても商売の取引で十分に儲けることができるからということと、せっかく商売で儲けた利益を不確実性たっぷりの賭け事に似た取引で失ってしまったら馬鹿らしいし、もし一度儲けてしまったらその味が忘れられずさらに投機に手を染め、結局負けるまでやり続けるからだ。人間は弱いくせに欲が深い生き物であるからこそ、大きな痛手を負ってでしかその誘惑を絶つことができないまるで動物と一緒である。金融市場、特に為替相場はゼロサムゲームで、ある種の戦場であり勝てば莫大な富を得られるからこそ頭脳明晰な学者に近い天才たちが日夜、その動向を職業として研究し予測して勝負に参加しているわけで、興味半分の素人が手を出して成功するほど甘くは無い。自分自身にも言えるが相場で負ける人の特徴は必ずといっていいほど損小利大が実行できない人であるということ。人間は十分に復活できるかもしれない損失を見切ることは大変な勇気がいる。そして恐怖に支配されるとその勇気が一層萎縮して正常な判断が出来なくなってしまう。時には経済社会そのものや、人間の人生の縮図といったようなものにも似ているのではないか。個々人の日々の喜怒哀楽の絶え間ない意識からそれぞれの消費行動を生みミクロ経済が成り立っているように、時として起こる事件や社会現象、流行が先導して人々の感情や行動が左右され、お金の流れもそれとともに顕著に現れる。平成初期のバブル経済が崩壊して以降、どちらかといえば日本はネガティブな流れに乗って株や不動産などの資産相場も元気を失ってきた。それとともに頑張らなくてもいいじゃないか、とか強くなくてもいいじゃないか、身近にあるささやかな幸せが貴重なんだというどことなく質素な嗜みに満足するというか、さらなる高みを追求するといったようなギラギラした感性を持っている人種が時代と共にどんどん減少しているように思う。

若牡の猛々しさゆえビジネスの経験には失敗がつきものだが若い時分には、自分は何て愚かなんだと自己否定してしまい自信を失って行動力が減退してしまう懸念が誰しもある。社会に出て会社員であっても起業家であっても、リスクを恐れないか、リスクを被っても再起できるかと常に天から篩いにかけられているように思う。
私の場合はこれほどまで多くの失敗をしても続けてこれたのは逃げなかったのではなく単に逃げれない環境にいたから。期せずしてその環境を作ったのは何もかもを捨てて起業を選択した自分であったのは若さゆえの盲目的妄信の産物であり、草創期である20代が1番重要な時間であったと省みる。