人民元の背景と改革の歴史

元は中国の中央銀行である中国人民銀行が発行している通貨で、日本では外貨として人民元と呼ばれますが、中国内では人民幣と表記されます。中華人民共和国が建国した前年の1948年当時、中国共産党が支配していた地域の中国人民銀行が最初の紙幣を発行しています。当初の紙幣の額面は62種類あり、最高額は5万元でした。高額紙幣が必要だった理由は建国直前に高いインフレーションが起こり、物価上昇率が急激に上がっていたためです。
その後、一定額以上の現金保有を禁ずる現金管理制度などにより、インフレ傾向が落ち着き、物価安定の時期に新紙幣を発行してデノミネーションを実行します。中国共産党の計画経済体制により外貨取引はすべて政府が行い、人民元は固定相場制でした。中国政府が市場経済に舵を切り、改革の歴史が始まります。貿易の重要性が高まると固定相場制が行き詰まり、いくつかの外貨レートに連動したレートにする通貨バスケット制へと移行します。その後、貿易の需要がさらに高まったため、中国当局が1日の為替相場の変動幅を限定する管理フロート制に移行しました。
それからアジア通貨危機の影響で、自国の通貨をアメリカドルに連動させるドルペッグ制を採用します。発展途上国が多く採用するシステムでレートを安定させるため、信頼性を高める効果があります。ただし、アメリカの経済状況に左右されるデメリットがあり、自国における発展の足かせになると判断した中国は、管理変動相場制を採用します。中国人民銀行が毎朝、外貨取引の目安となる基準値を市場に示し、上下2パーセント内の取引に限定されることになりました。

人民元の切り上げと切り下げ

中国政府による管理変動相場制は市場経済を基盤として、通貨バスケットを参考に調整するとしています。これまでアメリカドルのみに連動していたシステムから、主要通貨に日本円やユーロ、韓国ウォンを加え、イギリスポンドやシンガポールドル、ロシアルーブルなど11の外貨を対象にしたシステムに切り替えています。しかも、あくまで通貨バスケットを参考に調整するシステムなので、中国当局による判断で調整されることになります。
中国の管理変動相場制の導入により、世界経済が大きく影響を受けることが起きています。まず、2005年に導入後、人民元を約2パーセント切り上げたことで世界市場にインパクトを与えました。その後、アメリカから人民元が不当に安く設定されていると批判があり、2010年に弾力的に対応することを発表し、対ドルとしては緩やかに高値を維持していました。そこから2012年に対ドル相場の変動幅を拡大することを発表し、2015年に大幅な切り下げが行われます。毎朝、中国人民銀行が発表する基準値を3日間で4.5パーセント切り下げたため、一気にドル高が誘発され、世界各国に大きな影響を及ぼしました。
大幅な切り下げは中国企業の輸出競争力の高まりを表し、日本を始めとするアジアの輸出企業は大きなダメージを受けます。中国は切り上げや切り下げなどを過去に繰り返した歴史があり、為替コントロールによる国際間の取引カードにしています。

国際通貨としてのこれからの元

長期的な視点で見れば、中国当局による厳しい管理制度があり、規制緩和のハードルが高いことを考えると、人民元の外貨取引が他国のように自由化を実現することは難しい状況です。ただ、中国政府は国際決済取引でのドル依存度を下げるため、人民元の国際決済の使用を解禁し、貿易決済での使用を進めています。また通貨スワップ協定を締結する国の数を増やし、相手国との決済に使用することで流通量を増やす環境が作られています。2009年に中国5都市と一部企業の香港、マカオ、ASEAN諸国との貿易取引で試験的に始まった歴史を持つ人民元決済は、2012年に世界全体に広がっています。
中国の人民元の決済比率は年々拡大を続け、他のアジア通貨がほとんど変化しない一方で、倍以上の成長を続けています。人民元の取引市場は国内と海外で取引レートが異なり、急速に拡大を遂げているのが海外市場です。アジア市場だけでなく、通貨スワップ協定を元にイギリスやフランスなど欧州各国も取引を活発化させています。中国政府による金融改革推進の動きもあることから、今後も一層、国際的価値は高まっていくことが考えられます。
これまで資本取引は一部の自由化にとどまっており、海外投資家による投機マネーの流入を厳しく規制していましたが、上海で計画されている自由貿易試験区では、資本規制を緩和するとされています。世界で取引量が多いドルやユーロ、円に対抗できる国際通貨として、今後も存在感を増していくでしょう。また、経済成長のスピードが減速している先進国に比べて、中国は高い成長率が維持されているので、長期的に為替レートが上昇することが見込まれています。